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今から400年いじょう前の話です。この年はひでりがつづき、多くの村々が水にこまっていました。 |
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のうみんたちは「雨をふらせてください」とかみさまにおがむのですが、それでも雨がふらないために、大社村や広田村、中村の人々は、仁川の水を何とかひけないかと考えたのですが…。
こんな話がのこっています。 |
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大社村の人々は毎日、空をながめてためいきをついて言うのです。
「このままやったらいねはたすからん。なんとかしなあかん。」
みんながあつまってそうだんしても、なかなかいいちえが出てきません。
「段上村や良元村(宝塚市)のいねは、青々としている。仁川の水があるかならあ。」
「その水を分けてもらわれへんやろか?」
「…というても仁川の水もちょっとしかあれへんしなあ。」
「しかし、それしかほうほうはあれへんぞ。」 |
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水どろぼうは大きなつみなのですが、ついに、仁川の水をこっそり大社の方へひくことでみんなの考えはまとまりました。そして、村の人たちは夜こっそり山にのぼり、水を引くみぞをほりはじめました。
そして、やっと水が大社村の田にやってきて、ひといきつくことができました。 |
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一方、良元村では仁川の水がかわいて、田に水がこなくなりました。しらべてみると、大社村へと水がながれていることがわかりました。 |
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「大社村のやつら、水をぬすんだな。用水路をこわせ。」
と用水路をこわして、元どおり水がながれるようにしました。 |
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すると、また夜の間に大社村が水路をつくる。それをまた、良元村がこわすと何度もくりかえされました。
そして、ついにりょう方の村は力ずくで水をとろうとけんかのよういをして、山にのぼっていきました。 |
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さて、湯の口でりょう方の村がむかい合ってけんかがはじまろうとした時、空がきゅうに明るくなって、月の光が山上をてらしはじめたので、
「お月さんが出たけ。」
と空を見上げると岩の上に大てんぐが! |
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「てんぐや。」「てんぐさまや。」
とあわててにげだそうとした時、高い岩からてんぐが大声で、
「みなのもの、よく聞け。われは六甲のかみのおつかいできた。水は人間のためにかみさまがくださる大切なものじゃ。それを取り合ってけんかをすることは、ゆるさん。少しずつでも分け合ってなかよくせよ。」
と言って、パッとすがたがきえました。 |
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人々は口々に、
「こわかったなあ。だから、かみさまの言うとおりにするしかないなあ。」
と話し合って、それからは水を分け合うことにしました。
じつはこのてんぐは中村の紋左ヱ門という人で、あらそうことなく水を手に入れるためにてんぐにばけたということです。 |
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かんしゃした大社や中村の人々は、きねんひをたてました。
広田神社にのこっている兜麓底績碑がそれです。
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広田神社の兜麓底績碑 |
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引用:わたしたちの西宮 郷土資料集「西宮のむかしむかし」『てんぐのおさばき』 |